

母子家庭、というと、皆さんはどういうイメージを持たれるだろうか。
今では昔ほど暗いイメージはないだろうが、「寂しげ」「貧乏」「鍵っ子」、良くても、「清貧」「貧しくても楽しく」というイメージではないだろうか。
しかし、自分がなってみてわかったのは、母子家庭というのは、これはこれでなかなか楽しいものである。ものは考えようだ。カネさえあれば何とかなるし、働けばカネは何とかなる。仕事は選ばなければまだまだたくさんある。
私の子どもの頃は、母子家庭というのは結構珍しい存在だった。
離婚にあたって、母子家庭になるということを一瞬も考慮はしなかったが、離婚してしばらくした後に「ありゃ、ウチって、母子家庭なんだ」と思い、不安には思わなかったが「学校でお父さんがいない人っているのかな」とは思った。
しかし、いざ小学校に上がってみるとそれは杞憂だった。母子家庭なんてうじゃうじゃいるし、特にそれで不都合があったこともない。私の見たところ、今の子どもたちは私の子ども時代よりずっと優しく、男女なかよしで思いやりがあるように見える。まあ、人数が少ないから仲良くせざるを得ないのかもしれないが、それはそれで良いことである。
私の周りでも離婚は多い。離婚した人へのあいさつは決まって「おめでとう」である。一回結婚してしまえば後はいくつになっても「結婚はまだなの?」というウザい催促からはオサラバである。あとは当人が納得のいく生き方をして、寿命が来たら死ねばいいだけのことである。
しかし、かかし、おかし。不思議と離婚すると、男性は腑抜けのようになり、女性はいきいきバリバリと働き出す。逆はない。また、私のいる出版業界は今は不況業種として知られた業界だが、仕事が減っても女性はアルバイトでも何でもしてバリバリと働き生き抜くが、鬱になったり自己破産したりするのは決まって男性。しかもバリバリ働く男性というのは決まって「オバちゃんぽい」のである。男らしいヤツほどグチっぽくて働かない。男性はホント、口ばっかりである。
母とよく話す。「もう世の中男いらないね。女の方がしっかりしてるし、よく働くし」と。
働かない夫がいるよりいないほうが、よっぽど快適である。
そんな「よく働く母子家庭」の最強のおうち、昆虫の食物連鎖の頂点に君臨するオオスズメバチの一家を描いた小説が百田尚樹『風の中のマリア』(講談社)である。
主人公マリアは、「偉大なる母」アストリッドから生まれたオオスズメバチの戦士である。
オオスズメバチの巣はすべて同一の母から生まれた姉妹によって形成され、オスは交尾の時期、あるいは特殊な条件の下でしか生まれない。つまり、オオスズメバチの巣はそれ自体が巨大な「母子家庭」なのである。
しかし、オオスズメバチの巣は、家庭というほどささやかなものではない。育房数、つまり部屋数で言うと、3000から8000というから巨大なものだ。だからこの本ではオオスズメバチの家庭のことを「帝国」と呼ぶ。
母子家庭のおかーちゃん、アストリッドは帝国の女王にふさわしく、威厳があり、たくさんの娘たちを統べている。マリアはその中の一人であるが、日々、狩りをし、巣作りをし、戦う。
オオスズメバチの成虫の寿命は約30日。その短い寿命の中で、マリアは成長し、恋をし、そして死んでいく。
そして、彼女らは実によく働くのである。本書を読むと、オオスズメバチがどうしてこんなに働けるのかというメカニズムがわかるのであるが、「働ける」と「働く」の間には、1000光年以上の距離があることを賢明な皆さんはご存じだろう。オオスズメバチは「働ける」だけでなく「働く」のである。近年の研究ではアリにも遊んでばかりで働かないものがいる、ということだが、この小説では、ワーカーと呼ばれる女王バチ以外の働きバチはまあ働く働く。夜以外は休まず、1日に100kmもの距離を飛んで狩りに精を出す。
で、オスは何をしているのかというと、交尾の時期だけ生まれ、交尾をしたら死ぬ。生物学的に遺伝子の多様性を確保するためにだけ存在しているようなものである。
近親と結婚せず、他の人を選んで子どもをつくるのは種として生き残るための戦略であるが、それを人の世界では「恋」と呼ぶ。それならばオオスズメバチの交尾だって、恋と呼んでいいではないか。
作品の中でミドリシジミという小さなチョウが言う。「ぼくたちが恋をするのは子孫を残すためです。」
なるほど。
普段、さまざまな虚飾にまぎれて見えなくなっているが、そもそもオスという性は種の多様性をの残しつつ子孫を増やす、そのためだけに存在し、あとはおまけみたいなものなのだ。その「おまけ」で出世を目指したり趣味をしたりする。内田樹先生が以前「女性が男性の地位にあこがれる必要はない」というようなことを言っていて、その時はよくわからなかったけれど、今はよくわかる。生物学的には、女性はよい男性の子どもを産んでしっかり育てればいいのだ。男性は働かずともセックスさえしっかりやればよく、後はいなくてもよいのだ。少なくとも生物学的には。
そうなると、現在の男がろくすっぽ働かず、「働いたら負けだと思う」とぬかして、怠けてばかりいるのもそれほど腹立たしいことではない。神様がお決めになったんですもの、それは仕方がないですわねえ。
しかし、困ったことに、各種調査では「セックスに興味のない若者が増えている」ということである。これでは将来、うっかり単為生殖ができる人間が誕生したら、マジで男性はいらなくなってしまうぞ。そうなると、この『風の中のマリア』の世界が人間世界に現れるかもしれない。
男性諸君、特に、一生懸命働いている男性諸君、ここまで「働かない働かない」と連呼して正直スマンかった。しかし、私の周囲では本当に、働かないのは男性で、働くのは女性なのである。願わくばこの文章を読んで「男性が怠け者とはなんたる無礼」と怒り狂う男性が多いことを望みます。

posted by バーバラ・アスカ at 00:00
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